あいも変わらず見慣れた光景だな思いながらも、私はもう何度見たか分からない階段に入った。
長年の経験から、この階段を降ればさらに下に進めるということは理解している。
まあ階層ごとが物理的に上下があるとは思っていないが、よくこの階段を降りるという行為をしているから、便宜的なものになる。
無機質なコンクリートの階段室だが、ここは危険な何かに襲われることも、どこに行けばいいか分からずに彷徨うことも無い。
決して過ごしやすい環境ではないが、私はここを見ると安心する。
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私は元々、本当に普通の生活をしていた。
しかし突然よく分からない部屋に迷い込んでしまったことで、私の普通は未来永劫取り戻せなくなってしまった。
ワケも分からず無限に広がる黄色い壁を辿り続ける。
途中で何度か雄叫びのようなものが遠くから聞こえるたびに、私は隠れられるところを探して、その中で一人ガクガク震えていた。
稀に運悪くその雄叫びをやたら近くで聞いてしまうこともある。
いつものように隠れていると、ドソッ、ドソッと重い足音が次第に近づいてくる。
私は叫びたがっている口を必死に抑え込み、その足音の主が過ぎ去るのを待ち続けた。
私の願いはなんとか叶い、足音はまた遠くへと去っていった。
一安心して立ち上がろうとした時、緊張が突然ほぐれたせいか私は思わずよろめいた。
抵抗むなしくそのまま倒れ、床にぶつかろうとしたその時、何故か床をそのまますり抜けた。
戸惑う私をさっきまでとはうって変わって、白い壁が囲んでいた。
全くもって意味が分からない、私が最初に黄色い壁の部屋に来たのと似たようなことが起きたのか。
だが考えても仕方ないし、そもそも考えられるほどまだ落ち着いていない。
心臓はバクバクしている。
だからまたとりあえず行ける範囲を進み始めた。
長い通路のようなところを歩いていると窓があったから外を見てみた。
そこからの景色は中庭とそれを囲む集合団地のような光景だった。
そしてちょうど反対側にも窓がいくつもあり、光がついている部屋も少なからずある。
私はそこでちょっとした好奇心が湧いた。
まだ緊張は収まっていないが、それでもあっちには何かあるかもしれない。
あの雄叫びの主は怖いが、ここにはいなさそうだから、反対側の部屋に行ってみることにした。
道中は特に困ることは無かった。
たまに椅子が置いてある程度の何もないところを進むだけ。
方向感覚を失わないよう気を付けるぐらいだ。
たどり着いた部屋はまるでチェックインする前のホテルのような、整理整頓された寝室だった。
テレビには何も映らなかったが、幸いにも冷蔵庫の中に飲み物らしきものがある。
パックにはアーモンドウォーターと書いてある、少し怖いがのどが渇いていたので思いきって飲んでみた。
味としては何とも薄味、無味の方がマシかもしれない。
それでも無いよりはマシだった。
しかしこの変な世界、思っていたよりも色々何かありそうな気がする。
恐怖の感情はいまだにあるものの、私の中で確かな好奇心が芽生えつつあるのを感じた。
ただ、それもほんのわずかではある。
ほんのわずかではあるが、野垂れ時ぬよりマシという低レベルな天秤の結果で、嫌でも私は足を動かし始めた。
幾度の探索をこなし、私はまあまあこの世界での身のこなし方を会得しつつあった。
水分と栄養補給のためのアーモンドウォーターは、それなりのラインナップを揃えている。
簡易的に寝泊まりできる装備も、そこらでかき集めたもので何とか作った。
こうして準備万端の私はその場にいるだけでは仕方ないから、新天地を求めて宛のない旅を続けていた。
そんなある日のことだ、なんと私はスマートフォンを拾ったのだ。
幸いなことにまだエネルギーは残っている。
ひとまず位置情報を確認したが、指し示す場所はしっちゃかめっちゃかだった。
まあ、これはなんとなく予想はしていたが。
しかしその後に驚くべきことに気がつく。
なんとこのスマホ、Wi-Fiが繋がっている。
あいにく発信源の特定をする技術は持ち合わせてなかったが、私はとかくネットが使えるということが嬉しかった。
さっそく何か見られないか調べてみるが、残念ながら元の世界との接点は何も見つけられなかった。
しかし奇妙なものを見つけた、何かしらの一覧のようだ。
いくつか見ていくとどこか不思議な空間を説明しているもののようであることが分かった。
そしてさらに特筆すべき点として、私がかつて踏破した場所と、概ね同じ説明をしているものもあった。
私はここでふと思った。
もしかしたら、これを書いている人がいるのかと。
そう思うと何か元気が湧いてきた、自分はたった一人でここを彷徨っているわけではないと。
無論その人を見たことはなく、この一覧ももしかしたらこの世界そのものを作った誰かが、気まぐれで書いているだけかもしれない。
しかしその時の私は むしろ今もだが そんな考えても仕方のないことは頭に無かった。
そして書いてる人がいれば、かつての私のようにただ理不尽に苛まれるだけの人もいるだろう。
だから私はそういう人たちのために、私も自分の知識を提供することを決めた。
幸いこの世界の色んな場所は、ちょっとやそっとで忘れられるようなものではてんでない。
もし幸運にもスマホを拾った人がいれば、私や先人が書いたこの一覧を見てほしい。
一緒にこの理不尽な世界を解き明かしてやろうじゃないか。
そう決意してまた先に進もうと、近くの扉を開けた。
そこには、コンクリート製の寒々とした階段があった。
私は迷わず降り始めた。
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かつての探索の日々を思い出しながら階段を降りる。
思えば中々の深みにまで進んだかもしれない。
もはやちょっとやそっとのことでは動じないし、たとえ何もないところにほっぽり出されても、一ヶ月は生きていける自信がある。
私はすっかりこの世界の魅力にハマってしまったようだ。
しかし今日は何か違った。
階段をあともう少しで降りきるところで、私は何かゾワッと感じるものがあった。
確かにこの階段ではよくあることだが、今日のそれは一味違う。
より強い恐怖と不安が私を襲った。
この先に、何があると言うのだ。
いや、そんな小難しいことを考えるのは行ってからでも遅くはない。
今の私には恐怖を上回る好奇心がある。
何より今さら上に戻るのも面倒くさい、600段もあるんだ。
だから私は最下層の扉を開け、次の階層へとまた一歩足を踏み入れた。
どんなところか楽しみだ。

