Level 555 N の写真。
概要
Level 555 N は、郊外の総合病院周辺の、広大な遊歩道や駐車場のような様相を示す無限長にまで広がる階層である。この空間における太陽は永遠に沈みきったまま辺りを照らすことはなく、代わりに照らすものすべてを橙色に塗りつぶすような発色の強い街灯 ─ いわゆる、ナトリウムランプが空間全体を彩っている。気温はおよそ10℃ほどにまで冷え込み、空気の乾燥もはっきりと感じられる。ただ、視界は良好で資源もあり、危険な実体も確認されていないので、寒さを除けば概ね快適な部類の階層といえるであろう。後述する階層内の構造物内は、より心地のよい暖かな空間となっているが、その構造物内で睡眠を取るとそのまま Level 256 N へ外れ落ちるまでしばらく脱出不可能な状態に陥ることに注意すべきである。
Level 860 N からこの階層へ外れ落ちた直後、あなたは Level 555 N の夜空へ首をもたげ月を凝視していることに気づくであろう。しばらく辺りを見渡せば、月が夜空にもう一つ浮かんでいることにも気づく。この階層の天辺には、常に二つの月があることで知られている。それ以外の星々は一切確認できない。そこからゆっくりと目線を下げれば、どこまでも整備されたアスファルトが電灯の光を反射して鮮やかに輝いており、手のひらをかざせば自らの血潮さえもかさぶたのような橙色に見紛うほどの強い灯りに照らされていることがわかる。そのような空間内では、たいていの場合手元にあるスマートフォンの灯りが物体本来の色を知る唯一の手がかりとなる。懐中電灯を持っていればなお良い。
階層内のほとんどの空間は舗装された車道で構成されており、それに伴った信号機などのインフラ設備も整っているが、車が走行しているわけではないので種々の交通標識はすべて無視して構わない。階層内に点々と停められている車の内部にハンドルや座席は欠損しており、大きなマットレスと羽毛布団がその空間を占めている。このような車内から、袋に入ったまま冷めきったハンバーガーやポテト、飲みかけのペットボトルのような食料品が手に入ることもあり、その様相はまるで突然に乗客が消え失せたかのようである。
Level 555 N には、おおよそ 3 キロメートルほどの間隔を空けて総合病院のような巨大な構造物が立てられており、この階層から出るためにはそのような施設の内部へと向かうことになる。この階層で走っている車を見かけることはないため、遠くに建物を見かけたのなら歩道も車道も気にせず進んでいけばよい。病院はちょっとしたマンションや市役所のように高くそびえ立っており、入り口のみが全面強化ガラスになっている。金属の荒い網目に糸や木の枝などが張り付いた年季の入った玄関マットで靴の裏を拭い、通常なら病院の玄関や待合室などがあるであろう屋内空間へと足を踏み入れていく。
Level 555 N 内にある巨大な病院。
病院内部
Level 555 N の病床。
あれだけ大きかった病院の外装から一転して、建物内部には玄関すらなく、扉から向かってすぐ正面に紫色のベッドがただ一つあるだけの暖色の狭い病床となっている。この部屋は空調が効いており、あたたかく快適である。心電計のような装置もあるが、そのモニターに表示されるのは単なる平行線でひと立ちも波が起こることがない。部屋の隅には経口補水液1 や花束、そしてメロンや白桃のようないくつかのみずみずしい果物が添えられている。それ以外に目立つものは、天井で風力タービンのようにゆっくりと回っている大きな換気扇(シーリングファン)である。
病床のまわりには、さまざまな置物が数個、添えられている。そのほとんどは、ガシャガシャで手に入るような小さな人形である。例えば、プラスチック造形のてるてる坊主、同じくプラスチック製の小さな赤べこ、どんぐりを抱えたリスの形をしたロウソク、写真の入っていない空のコルクボードなどが報告されている。
ほかに、この部屋には何もない。新品のベッドを覆っているビニールの袋を破り、横たわって何度か眠ることで、この階層から外れ落ちることができると知られている。それまでに、この階層での旅路で手に入れた食料品に一通り手をつけておくとよい。天井へ頭を向けて眠るとき、たいていの場合、この部屋のシーリングファンの回転軸はちょうどあなたの臍へそのある地点に位置している。そして、その回転する羽の先はちょうど目の前を掠めてゆき、ここに今にも回転羽で自らの身体が切り刻まれるかのような圧迫感を体験した、と述べられることが多い。誰もがあまりにも一様な感想を述べることから、精神へのなんらかの影響があると考えられている。
ベッドでしばらく横になっていると、眠くなくともそこで自然と眠りにつく。あなたは夢を見始める。
夢
Level 555 N でみられる夢の内容は人によってまちまちではあるが、概ね「自分が体験しているかのように感じられず、映画を見ているかのように客観的に自分から切り離されたもののようだった」という点が一致している。
報告された夢の内容のなかから、一部を抜粋する。
- 自分は強い雨の降る鬱蒼とした林道の中を、傘もささずに歩いている。強い雨と鬱蒼とした草木の香りが空間内を満たしている。その道中に祠か小屋のようなものを見かけるが、それは潰してしまった目玉焼きのようにぐってりと溶けている。この溶けているものに気づいた自分は、ふと自分自身も、ゆっくりと溶けていることに気がつく。
- 自分は夕方の、紫がかった青色に照らされた無風の砂浜に立っている。目の前には海のようなものがあるが、その中を水ではなく黒い油のような液体が満たしている。砂浜がそよぎ、波がこちらへ向かってくる。黒い油が足元をかすめ、まとわりつき、そして波が退いていく。こうしてひとたびに黒く塗りつぶされた砂浜に、くっきりと自分の足跡上の白い痕が残ったことに気づく。
- 自分はカルキ臭く広々とした温水プールの中に沈んでいる。自分の胸、両腕には白いプラスチックの釘を打ち付けられていて、それによってプールの底に昆虫の標本のように寝転ばされている。しかし、不思議と息苦しくも、痛くも感じない。自分の身体は塩のような細かい四角い結晶の粒でできており、プールにさざ波が立つたびに、その体が指先、足先から少しずつプールへと溶けだしていく。両腕・両足が融けきってだるまのようになれば、体を釘で留める力を浮力が上回って自分はプールの表面へと浮きはじめる。やがて、身体がすべて溶け終わり、プールの底に3本の白い釘だけが残っている。自分自身はすでに全身が溶けていてここにはいないはずなのに、なぜかプールの底に残った白い釘を俯瞰して認識している。そのあと、ゆっくりと目を覚ます。
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5・10分ほどの夢を見たのち、そこから醒めればあなたは当然に元の Level 555 N の病床に引き戻されるのだが、その様子は一回り変化している。はじめは一つしかなかったはずの病床が、あなたを取り囲むかのように9つほどまで増加しているのである。屋内空間はそれに見合って拡張され、天井もやや高くなる。床からやや近いシーリングファンの位置だけは変わることがなく、それどころかあなたの病床に徐々に迫ってきており、強い圧迫感をもたらしている。
先ほどまで寝ていたベッドに再び寝転がると、また自然と眠りにつくことができる。それから、この部屋で寝て起きて、寝て起きて……を繰り返すたびに、病床の数は 9、27、52、84、…… と少しずつ増えていく。天井も壁も際限なく高く広くなっていき、はじめはワンルームのようだった病室は、ひと眠りすれば学校の教室ほどの広さとなり、何度も回数を重ねればそこは体育館やコンサートホールかのように広々とした空間となっていく。
240台ほどまで増加した病床。
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この空間で眠れば眠るほどに、夢の内容もさらに抽象性・俯瞰性を増していく。しまいには、夢の中に自分自身すら登場しなくなり、ただ断片的な映像を視界として認識するだけの内容となっていく。
この段階でみられるような夢の内容のなかから、一部を抜粋する。
- 自分の目の前でベージュ色の、レースのカーテンがそよいでいる。裏側から太陽光のようなやわらかい光が照らしているが、カーテンはそれを一切透過することはない。カーテンの重なりへこんだところから、血よりも透明度の高いさらさらとした赤い液体がゆっくりと流れだし、徐々に全体がベージュ色から淡い赤へと染まっていく。
- 自分は、そこに何の香りも気配も一切ない、一面の黒い場所に座り込み、ただ目の前を見つめている。アニメ調の絵柄の、不明瞭な白いものが視界の左端から現れて、ゆっくりと目の前まで歩いていく。それから、大きな口を開き「ぼくは、さるです。」のようなことを女性の高い声で述べたあと、視界の右側へと歩いていき、その途中で身体が畳まれるようにして内側へ折れ曲がり、どこかへ消えていってしまった。
- 自分は、その壁や床がすべて真っ白く、巾着袋のように円筒状とも、円錐状ともいえない形をした屋内空間のなかを見つめている。その中心で、人の肌のようでも粘土のようでもある質感にやや赤い色をした、部屋の形状と同じく巾着袋に似た形をしたものが宙に浮いている。浮いたそれは、巨大な肉の塊のように大きくずっしりとしているのにもかかわらず、ベビーベッドの上に吊るされた蝶のかたちの色紙(モビール)のようにその場でひらひらと回転し、さらに空間全体を加湿しているかのごとく表面からわずかに白い煙を吹いている。それは、ゆっくりと、確実に部屋のなかで高度を落とし、落下している。それが数十分の時間をかけて、地面に落ちきってぴたりとくっつき、ゆるく潰れた塊の底から透明な液体があふれ出はじめたとき、目を覚ます。
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数えきれないほどにまで増加した病床。
10~16回ほどの入眠と覚醒を繰り返せば、この部屋ははじめの様子からは想像できないほどの広さとなる。病床は数えようとしても明らかに徒労に終わるほどの数となり、壁はまるで無限に広がる屋外空間かのように全く見えなくなり、天井の照明の種類・病床の種類・配置なども、目を覚ますたびにまだ夢を見ているかのように微妙に、朦朧と変化し続けている。Level 555 N の空間のすべてが、この屋内空間で満たされてしまったかのようにすら、感じられる。この段階では、病院外に戻ることは不可能と言って差し支えない。
これほどまでに入眠と覚醒を短期間で重ねているというのに、まだベッドへと横たわれば自然と瞼が重たくなっていく。依然としてゆっくりと高度を下げていたシーリングファンは、もはや喉元をかすめるほどにまで迫ってきており、目が覚めるたびに眼前に回転している巨大なファンの存在を焼きつけられる。この階層から外れ落ちるためには、もう少し入眠と覚醒を繰り返す必要がある。
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Level 555 N の屋内空間でおよそ 20回にわたる入眠と覚醒を繰り返したのち、同じように眠りに落ちれば、そのまま夢を見るようにして外れ落ちて、気づけば Level 256 N の晴れわたる淡い色の草原で、一面に広がる昼空と草木を眺めて立ちつくしている。
入口と出口
階層の入り方
- Level 860 N のビルの屋上にある、別のビルに繋がりそうな外通路を進んでいると、空中で通路が完全に寸断されていることに気づく。そこから飛び降りると地面にぶつかる寸前に外れ落ち、 Level 555 N の屋外で二つの月を仰ぎ見て立ちつくしている。
階層の出方
- Level 555 N の屋内空間でおよそ 20回にわたる入眠と覚醒を繰り返したのち、同じように眠れば、そのまま夢を見るようにして外れ落ちて、気づいたら Level 256 N の淡い色の草原に立っている。

