クレジット
タイトル: "私"
著者: HokuhokuPoteto
作成年: 2025
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私 とは、バックルームにおける私と彼女を含むあの人であり、それと同時に貴方でも彼らでもある私に加えて垂直に面する現実をも含んだ私と我々と私を包括する総称としての私の階層である。
ご覧のとおり、交じりあい続けています。こうしている間にも
概要
ここは見渡す限りに広がる暗い水面とやけに白っぽい満月。その他には何一つ存在しない階層です。現実と比べ、空と海が非常に近く感じるという特性があり、今にも触れて交じりそうな錯覚を覚えます。
階層内は常に満月の夜であり、月が欠けることも夜が明けることもありません。ただし、あれほど見事な望月であるにも関わらず、階層内は暗く見通しが効きません。水平線すら酷く曖昧です。
到達時、常に水面に仰向けの体勢で浮かんでいます。この水面を成す液体は概ね透明でわずかな粘性有り。口に含むとほのかな塩気があり、特筆するほどの害はありません。温度は人肌ほどで不思議と心地よく、長時間浸かっていたとしても体温が低下する危険性はないでしょう。
水底の様子はまるでうかがい知れず、空の高さと同じぐらいに深いように思われます。ほの暗い穴のような水面を横目に見ていると、今にも深く深くまで引きずりこまれてしまいそうです。
しかし、不思議と沈むことはありません。いえ、仮にわざと沈もうとしても出来ないでしょう。四肢のどこにも満足に力が入らず、息を吸って吐くのすら、こんなにも億劫なのですから。
実際に私がここへ到達した際は、身体は弛緩しており、指の1本すら満足に動かせませんでした。泳ぐなんてことはとてもできず、ただただ漂うばかりです。
そんな風にして、数刻ほど絶った頃でしょうか。ふと、肌に放射状の切れ目が入り、はらりと割れました。ちょうど花が綻んだようにです。その裂け目から、どこか見覚えのある花が溢れだし、次々と水面へこぼれてゆきます。
不必要なほどに鮮やかです。くすんだオレンジ、柔らかなクリームイエロー。あるいは品のある古代紫か、冗談みたいな蛍光グリーン。時には目の覚める深紅の場合もありました。
しかし、花は静かな波に洗われ、どれも次第に白く色褪せてゆきます。私から溶け出した色は、わずかな間だけ水面を染め、次々と深い紺碧に還っていきます。
その美しい光景に見惚れていると、次第に私の輪郭も溶け、意識も不明瞭になって参りました。
今しがた外れた赤い舌先で、私の両眼が揃ってぷかぷかと浮かんでいます。遥か遠く流れていった髪が、白い花に絡みながら沈んでゆく光景と、目の前で背中がほどけて海に交じる様が、まったく同時に瞼裏で重なります。
一体、どこから何を見ているのやら。
物品
何もない。何もない。浄土とはきっとここのこと。
入口と出口
階層への入り方
決まった入りかたというものはなく、どこからどうして落ちてきたかは、その時によりけりです。
とはいえ、すべての回数分を書き連ねていては、いつまでも終わりません。そこで、ほんの一部を代表として以下に記しましょう。
- Level 0 をさ迷う内に、絨毯を濡らす液体に足をとられて転倒すると、そのまま身体が沈み込んでここへ落ちてきた。
- Level 1 N で一際に雨漏りのひどい箇所を見つけ、水の滴る壁に触れた直後、ここへ外れ落ちた。
- Level 6 N を漂い続ける和船の舳先から海へ、たしかに身を投げたはずなのに、気付けばなぜかここへ来ていた。
- Level 8 N で大量のクッションの津波に溺れている内に気を失い、次に目を覚ますとたどり着いていた。
- Level 13 N のプールに転落してしまい、濁った水に目をやられてしばらく目を閉じていた。ようやく痛みが引いて目を開けると、プールではなくここに浮かんでいた。
- Level 16 N にて、爪を剥がす勇気がどうしてもでなかった。
- Level 52 N のクラゲエリアで、ひときわ美しいハナガサクラゲに目を奪われ、思わず立ち止まった瞬間に外れ落ちた。
- Level 216 N で赤い水に溺れていたはずだが、ふと目を開けるとここに浮かんでいた。
- Level 321 N で月夜の海が描かれた絵屏風の間を通ると到達した。
- Level 411 N で朱い太陽が沈んだ直後、不意に足元が静かに波立ったかと思うと、気がつけばここへ落ちていた。
- Level 500 N にて、中から水の滴るような音がする部屋のドアを開けたところ、ここに到達した。
- Level 574 N で酷い雨漏りの音がする部屋の障子に穴を空けて覗き見ると、次の瞬間にはここにいた。
- Level 701 N の黒い液体で水没した区画を泳いで渡っている内に気付けば移動していた。
- Level 800 N にて、水の湧く音を聞きつけ、水源を求めて杉林を探し回る内にここへ外れ落ちた。
- Level 888 N にて、ふと後ろを振り向くと、先ほどまでなかったはずの横路が出来ていた。微かに聞こえる波音につられ、その横路へ入り込むと、気付けばここに浮かんでいた。
- 現実世界で、星もない夜の暗い水面に大きな満月が浮かんでいる。直後、吸い込まれるような錯覚を覚え、気がつくと私は柵を乗り越え、ためらいもなく身を投げていました。今に思えば、あれは月などではなかったのでしょうね。
階層からの出方
私が私と完全に交じり合ってしまうと、やがて、私の花びらが波に巻き込まれながら下へ下へと沈んでいきます。いえ、あるいは風に巻かれて空に舞い上がっているのでしょうか。
何度かは抗おうとしたこともありましたが、そのための腕や脚はもう溶けてしまっているのですから仕様がありません。
終いには視界まで溶けていき、ただぷくぷくと空気が弾ける音だけが聞こえます。最後に残るのは、いつも決まって音だけです。
そうして長い長い暗闇の後にふと目が覚めると、現実世界へ到達しています。
います。
います。
何処にだって。
当記事への改稿勧告を拒否する事由の表明
現在、一部の方々より当記事に大幅な改稿が必要である旨の勧告を受けております。当記事の記述内容があまりに主観的かつ階層のガイドとしての体を逸脱している事がその根拠として提示されました。
しかし、これは明らかに誤った指摘と言わざるを得ません。主観を個人の視点とするならば、この記事に主観が交じる余地は一切存在しないからです。
したがって、私は当記事の改稿を拒否します。これは交じりあった無数の私の総意と捉えていただいて差し支えございません。

