編集者による注記:
以下の文章は、1986年にバックルームの階層である Level 444 N に迷い込み、偶然にも現実世界に脱出できたと思われる放浪者の1人に対して行われた、サイト編集者によるインタビューの書き起こしである。個人情報を保護するため、この放浪者の名前や言及された人名、居住地域の一部は仮称などに伏せられていることを予めご了承いただきたい。
それは、もう何十年も前の夏のことだったと思います。
僕はそのころ、まだ中学2年生だった頃のことで、あの頃の僕はといえば、オカルト話や怪談が特に好きで、テケテケだとか口裂け女だとか、当時よく話題に上がっていた都市伝説をよく調べてはノートにまとめたりとかもよくしていました。学校ではその話は極力しませんでしたが(あんまりオカルトが好きな友達がいなかったので)、1人や2人、同じように怪談が好きだったりする同級生の友達がいて、心霊スポットを巡ったり、都市伝説の検証を複数人で回したりと、いろいろ考えてけっこう熱心なことをやっていましたね。
そんなある時、僕の特に仲の良かったTという友人が、「夜、赤い霧が出ているときに山奥に向かって入っていくと異界へ行くことができる」という都市伝説があるという話をしてくれたんです。Tは確かにオカルト仲間ということでよく一緒につるんでいましたが、彼は時々怖い話を盛って話す癖があったので、「そんな都市伝説、聞いたことがない」と、僕はそれに疑いの目を向けていました。異世界へ移動するエレベーターの話くらいなら聞いたことはありますが、まあそれも本当かはわかりませんでしたけど、赤い霧が出る夜なんていうのは、あまりにもあからさまって言うのかな、親友だったとしても、やっぱり信じることは難しかったんです。本気でオカルトを調べてるましたからね、当時の僕は。
でも、Tは強く反論してきました。「最近の都市伝説であることは間違いない、実際にそれで異世界に行ったという人がいるんだ」って。じゃあ、実際にそれは誰なんだよ、と聞いても、又聞きでだからって言って、Tも知らないようでした。ますます僕は事実かどうか疑うようになりましたが、実は、話そのものに興味が無いわけではありませんでした。
今ならすぐにその話を検索して調べることも難しくはないでしょう。でも当時は、この時代のようにインターネット、なんてものはありませんでしたし、電話といえば家に備え付けの黒電話か、よくてプッシュホンが一般的でした。なので、そういった話の本当かどうかを検証することなんて簡単には出来なかったわけです。
では、どうするかっていうと。もちろん、僕とTは、その話の真偽を確かめる方向にかじを切りました。又聞きを追いかけるのもいいけど、それをするくらいなら、実際に検証するのがいいだろう。オカルト研究家として現地に足を運ぶほうが楽しいじゃないか、って。ちょうど、夏休みに入る前で、僕が実家に帰省するという話も重なっていたこともあり、Tと一緒にN県の山奥にある実家に帰ることになったんです。
N県のとある山中の村に、僕の実家がありました。今はその実家は村ごと市町村の合併とダム建設でいまはなくなってしまいましたが、当時はきれいな田んぼで、夏になれば稲が村一面を覆うような感じの景色が見れました。
Tと一緒に来るのはこのときが初めてというわけではありませんでしたが、明確に都市伝説の検証のために帰省に居合わせてくれたのは、これが最初で最後でしたね。
でも、勢いだけでTと一緒に実家に来てしまったわけなんで、赤い霧なんてものが早々に見られるとは、到着した時点の頭ではなかなか思えませんでした。なぜなら、僕の実家は心霊現象が起きたという話ひとつなかったですし、特に何らかの事件や合戦があったなんてこともなかったからです。そういうスポットの山であれば可能性はあったのかもしれないと、このときはちょっとだけ、後悔みたいな感情を抱いていたのを覚えています。
とはいえ、既についたのだからしょうがないって。その日の夜になるのを待って、僕とTは家を出ました。両親や祖父母に見つかると面倒なので、みんな寝静まったタイミングを見計らって家を抜け出しました。「山奥に入ると危険だから行くな」という言いつけはもちろんあったので、赤い霧が見えない間はただふもとの道を散歩するくらいで済ますつもりでした。Tともそうすると言ってましたしね。
家を抜け出し、ふもとを歩き回っていて20分から30分かしたくらいだったかな。深夜1時に回ろうとしたくらいで、少し歩き疲れていた僕に向かって、Tは振り向いて言いました。「なにか見える」と。
なにを、まさか、霧でもあったのか?と思って、Tが指さしたほうを見たんですが、その先にはただの街灯しかありませんでした。暗い夜道を一定間隔で照らす街灯の一本を指さして、期待か不安か、あるいはその両方かを抱いてるような表情で、その先に見えているものを僕にも見るよう伝えるんですけど、僕には彼が何を見ているのか、わかりませんでした。
とはいえ、霧ではないにしろ何か彼にしか見えないものがいるのだとしたら、何もないより話題にはなるだろうということもあって、2人でその街灯に近づいていきました。ですが、近づいたところで街灯は街灯です。他でもない、ただの街灯。
「やはり見間違いじゃないか」とTに声をかけようとしたとき、横に立っていたTは、空を見上げていました。
え、さっきからTは何が見えているんだ。と、僕も同じように上を向くと、おかしかったんです。空が。僕達は深夜に家を出たはずなのに、何故か真っ赤な、本当に真っ赤な夕焼け空が、空を覆い尽くしていました。
僕もTも、頬に嫌な汗をしたたらせました。どうしてこんな時間になっているんだ、と。
しかも、夕焼けは真っ赤に空を覆っているのに、陽の光はまったく地上を照らそうとしていませんでした。なので、僕やTを含め、街灯から少し外れたところを歩くと、互いの姿すらわからなくなりました。
ただ少ししか離れてないはずなのにはぐれてしまった、と、すぐに僕はそう思いました。ぞわりとした怖さを感じながら、僕はTの名前を叫んだんです。
すると、すぐそばでTの返事が聞こえた気がしましたが、振り返っても彼の姿は見えませんでした。おそらく山の陰でわからなくなった道を、点々と続く街灯を頼りに探して歩き回りました。遠くにいるのか、近くにいるのか、Tの声だけが時々聞こえるんですけど、姿はどこにも見えなくなってしまったんです。
僕はその時、すごく怖くて泣きそうになりました。だってなんの前触れもなく、都市伝説にあったような現象もなく異界へ飛ばされたって、怖いじゃないですか!オカルトを追い求めるだけで、実際に経験したことなんてなかった、そこらへんにいる中学生でしかない僕やTが、突然このような状況になれば、パニックにならないほうが変じゃないですか。
それで歩き疲れて、泣きつかれて、1本の街灯の下に来ると、僕はそこにしゃがみ込みました。既にもう一人だけになってしまった僕は、後悔してました。こんなことなら、あんな都市伝説を試そうなんてしなければよかった。Tの言葉なんて信じなければよかった。泣きべそを掻きながら、僕はただじぃっと、夕陽と山の境目をじっと眺めていました。
しばらくそうやって休んでいた僕は、Tも同じようにどこかにとどまっているはずだと思い、なんとかしてここから抜け出す方法を考えました。
見たところ、その空間はあまり広いようには見えませんでした。街灯が点々と存在することは遠目でも分かりましたし、あたりが真っ暗だったからか、街灯の明かりは嫌に目立っていたので。僕は何も話さず、その街灯を辿って歩きはじめました。
一本、また一本と街灯を確認していきますが、Tの姿はありません。いつしか距離感もわからない彼の声も聞こえなくなりました。
きっとまだ立ち止まって、僕が来るのを待っているんだろう…僕はそう信じました。彼との信頼の上では、信じないほうがおかしいですから。
この夕暮れの場所をしばらく歩いていると、時々信号機に出くわしたんです。いや、まあ、たしかにそれは信号機ではあるんですけど、何もないような一本道らしき場所で出てくるから、僕は見かけるたびに少し不安な気持ちになりました。さらには全部の信号が赤色なことが多いみたいで、それが不安な気持ちに拍車をかけてきました。
Tを探して街灯を通り過ぎると、時々街灯の下にはよくわからないものが転がっていることもありました。瓶に枯れきった花が生けられていたり、後ろ向きの地蔵がいたり、小学生の通学帽が落ちていたり、と、見つかるものは様々でしたが、Tにかかわるものは見つかりませんでした。
そういったものを見れば見るだけ、この異界にいればいるだけ、心が疲れてくる…けれど、別に死んだ先の世界であるとか、そういった感じもしない、不思議な場所でした。
もうかれこれ、1時間ほど歩き回ったくらいだったでしょうか。遠目に、何かがゆらゆらしてるのが見えました。それが何なのかははっきりしなくて、目を細めてよく見ようとしても、わかりませんでした。真っ暗闇な中でやけにはっきりと見えたそれは、どんどんそれは近づいているような感じで、また僕はぞわりとしました。
僕はなるべくそのゆらゆらするものに目を合わせず、もときた道を戻りました。嫌な予感を感じて振り返ると、その先にもまたあのゆれるものが見えました。おそらく、僕は"何か"に気に入られてたんだろう、とその時思いました。ゆっくりと近づいてくるそれが恐ろしいと思っていましたが、足がすくんで逃げようにも逃げられなくなりました。
いつしか、それは僕の目の前に立っていました。真っ白で、全身が光のような…子供でした。低学年生くらいの。小さい子供の…幽霊?でしたかね、そこまで近づいて、僕は呼吸が荒くなっていましたが、不思議と先程まであった恐怖感はなくなってました。むしろ、安心するような、落ち着くような気持ちがありました。
その幽霊は、僕に手を伸ばしていました。何かを知っているみたいな、そんな感じがしていました。Tの居場所や、ここから抜け出す方法を、それは知っているのではないかと、僕はそう思いました。
なぜそう思ったのかはあまりわかりません。なんとなく、僕はそう思った、ということだけは覚えています。
幽霊は、僕の手を取ると、ゆっくりと歩き始めました。僕と一緒に、ゆっくりと。
夕日に照らされた山は赤くなるわけでなく、遠くに時々見える鉄塔が目に入ると、不思議な気分になりました。それは、なんというか、懐かしい、って言うんですかね。その、なんだか、幽霊と一緒に僕が知ってる帰り道を歩いているかのような、そんな懐かしさみたいなのをちょっと感じていました。なぜかはわからないけど、それが楽しいように思えてきたんです。
ともかく、僕は幽霊に従って歩き続けました。ときどき視線のようなものを感じたり、街灯に大人の影のようなものが立っているのが見えたりと、不自然なところもありましたが、幽霊と一緒なら、不思議と不気味さや恐怖感は薄れていました。
幽霊は歩くのを止めました。いきなりで少し戸惑いましたが、少し遅れて僕も立ち止まりました。幽霊に目を向けていた僕は、それの見ているであろう方向にゆっくりと目を向けました。
その先にあったのは、あの信号機でした。ですが、今まで見てきた信号機とは違っていて、全ての信号が青色に輝いていました。
目のような模様の、こちらを見下すような青色に。
僕は、その先に何があるのかは想像したくありませんでした。どこかすごく気持ちが悪かったからです。ただの直感に過ぎませんでしたが、幽霊が急いでそこに僕を呼び込もうとしているような気だけはわかりました。このままそれに従ってはいけない、と、そんな気がしてしょうがなかったんです。
僕は立ち止まったまま、ただ「そっちにはいけない」とだけ静かにつぶやきました。でも、幽霊は何も言わず、信号機の向こうで手招きをしていました。さっきまで落ち着いていた不安感がまた一気に押し寄せてきて、ひやりとした感覚が全身を一気につき通りました。
このままこの幽霊に連れていかれてしまうんじゃないか、と、どうすることもできない気持ちになっていたその時、突然聞こえてきたのは、町内放送のような音楽、夕焼け小焼けの曲でした。
そのジリジリとした音混じりの曲は、空間の全体に響いてました。ゴオ、ゴオという深い変な音が挟まりながら、低いゆがんだ声があとから響いてきました。その声が何を言っているのかはうまく聞き取れませんでしたが、なんとなく家に帰るように言う言葉であることはわかりました。
ふと、また幽霊のほうを見ると、僕はハッとしました。なぜなら、その音を聞いた幽霊が、しゃがみ込んでいるように見えたからです。苦しそうにうずくまり、耳をふさいで音から逃れようとしているようにも見えました。
よし、このタイミングなら…と、僕はそのまま後ずさって、振り返って逃げようとしました。幽霊は僕の真後ろに気配を感じさせていましたが、追いかけてくるような感じはしませんでした。
そこからは、ただがむしゃらに走り続けました。はやくここから逃げたい。きっとこのままここにいてもろくなことにならない。そういう一心で、僕はわけのわからないことを叫びながら、走りました。真っ暗闇を、街灯が見えるままに走ったのです。しかし、あまりにも意識せずに走っていたためか、道中ですっ転んでしまったところで、記憶が飛んでしまいました。
次に目が覚めたのは、病院のベッドでした。どこの病院かもわからなかったのですが、あとから東京の大病院であることを知りました。
医者が言うには、渋谷の交差点の中央で倒れたまま気を失っている僕を通りかかった人が見つけて、救急車を呼んで病院に送られたと説明されました。いやにはっきりした意識で僕は考えていましたが、どうしてN県の実家から渋谷まで移動したのか、まったく思い出せませんでした。
ですが、そんなことはどうでもよくて。何よりも驚いたのは、僕がいつのまにか40歳になっていたことです。中学生だったのにですよ。鏡を見て、カレンダーを見て気づいたことです。26年間、僕は何をしていたのか…何も思い出せません。しわしわになった手や顔を見て、僕は怖くなりました。そもそも、僕はN県の実家にTと一緒にいたはずで、あの夕焼けの空間にいたはずで、渋谷になんて行った覚えすらありません。その実家も今はダムの底ですし、祖父母は当然、両親もずっと昔に…。
僕は狂ってしまったんでしょうか。未だにわかりません。僕を知る人は、もうどこにもいないので。
Tについてのその後は聞かないでください。思い出したくもない。

