ηからの移植で、バックルームの記事という意味でも処女作。実はあんまり語りたくない個人的な話をもとに作った階層記事で、リミナルというよりは純粋なホラーみを優先して書いた部分がある。
ηからの移植。実は22年5月ごろだったかに尿管結石の再発で入院した際、夜間に病室を抜け出して院内を撮影したときの映像を階層の情報として利用している。
人が運営していてもおかしくないほど整理されているのに誰もいない、暗闇からよくわからない音が聞こえてくる、声や気配もないのに病室の呼び出しランプがついているなど、自分が考えるリミナル性が何なのかを整理するきっかけとなった記事だったりもする。
ηからの移植。「そういえばキタノブルー的景色って空虚で冷たくて退廃的だよね」「朝方や夕方くらいの公営団地らへんって無限に続いてたらリミナルだよね」という着想を得て制作。
なんとなくこういうところにいたら不気味だなと思って考案した「首なし」が初めて登場した記事でもあり、その人間らしい雰囲気を持ちながらも意思疎通や表情の取れなさ、時々見せる意味深で謎めいた行動機序などのビジュアル面で他の著者に大ウケし、 Level 888 N や Level 50 N といった名作が誕生するきっかけとなった。
人間だけじゃなく犬や猫などの動物も首なしがいたりするという話は、実はあんまり知られていない。
Nオリジナル記事。「リミナルスペースとジャパニーズホラーがどこまで相性よく構成できるか」をつかむために実験的に書いた記事。結果としてかなりいい感じに仕上がったと思う。
階層内で何かをしてはいけないという「禁忌」、その何かをしたことで発生した「現象」、その現象について説明しようとしたことで発生する「連鎖」……これらはよくある怪異の伝搬や因習村的な表現で見られるが、実際にバックルームに落とし込んでもいい感じに作用することがわかったので大変満足している。
Nオリジナル記事。こちらもリミナルとジャパニーズホラーをかけ合わせることを目的に制作。N階層は何かと夕暮れ時にしたがる傾向があるな、と書いててふと気づいたが、実際逢魔ヶ時という言葉があるように、1日の終わりの時間は怪異との相性が良いので必然とも言えるか。
太陽が沈みきったり、山に阻まれて影に入ったりしたところは写真写りが悪くなる、なら肉眼でも見えないくらい暗くしちゃえばいいのでは?という発想で書いたところがあり、そのくらいの時間帯に点灯する街灯も、照らされているのは地面ではなく意味深な物品たちならよさそう、というように連鎖的に要素を組み立てた。白い幽霊や黒い影といった実体も、リミナル性を担保するために怪異としてはどこか脈絡の無さや機序・意図の不明さを出すよう心がけている。付属記事の「26年前の帰り道」は、バックルームに迷い込んで戻るということがどういう結果をもたらすかを怪談調に描いた作品でもある。
添付音声は自前で制作・加工したもの。読み上げているのは私本人である。
「丘の針が16号の時間です。携行缶に気をつけて、うやうやしく帰りましょう」
そもそも、私がBackroomsという概念に初めて触れたのは22年の4月頃だったか、Kane Pixels氏の例の動画からであり、その後M.E.G.世界線を基本とする英語版Fandom/Wikidotのサイトを読んだり、翻訳・解説動画をYouTubeで見たりする機会が増えて今に至る。
M.E.G.に関連する設定はたしかに魅力的ではあるし、現代人が即死級の超現実的トラップがひしめくダンジョンに閉じ込められたらどうするのか、を考察できる点、あらゆる世界からあらゆる人間や人外が流れてきているという設定上の受け皿の広さ(人外やケモノ、ロボキャラが好きという意味でこれはかなり刺さっている)がすごくいいと思った部分だった。
しかし、それはBackroomsが本来生まれた着想元である「リミナルスペース」から明らかに逸脱したものであるし、Backroomsの本来の概念として見るならばそういった設定はむしろ受け入れられないな、という意識がどこかあったのも事実だった。それに重なるように、自分もBackroomsで何か記事を出したいなという意識もあったので、4月くらいの時点でWikidotでサイトを建てたいという思い自体は密かに持っていた。Backroomsに対する淡い憧れが止まらなかった1ヶ月を過ごした後、5月にSCP著者界隈を中心にBackroomsについて話せるDiscordサーバー「The Backrooms JP」を打ち立てた。これが現在の当サイトの公式コミュニティサーバーにつながることになる。
その後、英語版Fandom Wikiをもとにした日本語版サイトが存在していることを認知。当初は翻訳置き場としてしか使われていないのか、とおもいきや、独自の記号"η"を用いた日本語オリジナル記事も投稿できるという事実を教えられたことで、私は強い期待を抱いた。Fandom日本語版サイトのビューロクラット(最高管理者)のHexirp氏(このサイトでは
Emirp氏)も私と同じく「本来のリミナルスペースに立ち返った創作」を求める考え方を持っていたことに共感し、Fandomに登録して作品を投稿した。これがLevel 42 Nの移植元であるLevel 42 ηであった。私がFandomに記事を出したのと同じくして、数名のSCP著者も同じようにη記事を投稿していく流れが生まれ、次第にSCPサイトメンバーや読者ではないη記事の著者も少しずつ増えていくことになった。
SCP財団という10年選手の巨人が先陣を切って「収容もの」のシェアードワールドを構築してきた手前ということもあってか、「リミナルスペースに立ち返り、M.E.G.を排除して放浪者という人間のサバイバル体験をもとにした創作スタイル」を貫く日本語版の立場に賛否は分かれつつも、少なくとも22年11月現在、作品を書く側の意思としてはリミナル優先であることを望む声が大きいものとなっていると私は思う。
だが、Fandom日本語版で長らくいろいろな記事を投稿していく中で、サイトシステム上の問題として「記事投票システムが公式サポートされておらず、記事のクオリティコントロールができない」という欠陥がHexirp氏が2ヶ月ほど不在だった時期に表面化した。この問題はHexirp氏が復帰した後にモデレーターを募集したことで不安定な体制をなんとか固めることには成功しているものの、いまだクオリティコントロールという面では不安が残る状況が続いている。
そんなごたついた状況が続く中で、「やはり使い慣れたWikidotで記事を出せるようにしたい」という意識が私の中で再燃し、japan-backrooms-wiki.wikidot.comドメインを取得。最初は軽い気持ちで勢いに任して取得しただけに過ぎず、Wikidot英語版のサイトテーマをローカライズしたりなどして骨組み整備も勢いだけで始めた。構文やCSSの知識が不足しているために苦難しているところに
R74氏がサポートしていただいたことで、Wikidot日本語版の設立が現実的になった。
やがてDiscordサーバーに参加していたSCP著者の人たちも興味を示し始め、本格的なサイト整備を開始したのが、10月半ばごろのことになる。こうして、サイトスタッフ3名、技術サポーター1名と極小人数体制でクローズドβ運用が、22年10月24日に開始された。Fandom日本語版やSCP-JPに記事を投稿していた著者による創作が少しずつ活発化していっていることに喜ばしくも、これから本運用後に降り掛かってくるであろうあらゆる運営上の負荷やストレスに胃を痛めつつもある私の最高管理者生活が始まったのである。